人生感悟——”八股”不仅仅是文风问题

Posted on 02月 27th, 2008 in 感悟 by admin

关键词 : 八股文 文风 今天在科协会上,一位专家对类似以什么为抓手或者几个一点等华而不实的文风提出了尖锐的批评,对此,我很有同感。

我们已经对这种词汇见怪不怪了。它们已经充斥于几乎所有的公文或者报告之中,成为领导甚至学者演讲的一种技巧。其实,要真正写好八股文也不容易,那些排比句组成的对应词句写得好也是要花大功夫的,如今摆弄这些八股的不都是智商很高的新一代官僚或文人吗?但问题在于,八股文不仅仅是文风问题。现代八股文的基本特征是说假话,说空话,说大话。上级用它糊弄下级,下级用它敷衍上级;你说你的,我做我的;你算说过了,我算做过了。这种腐朽作风严重地败坏了风气,涣散了士气,真是害己,害人,甚至害一个民族,害一种文明。我们能把它看作是一个小问题吗?

日本图书馆协会教材《图书馆概论》吴建中撰稿部分——中国的图书馆全文

Posted on 02月 26th, 2008 in 读书 by admin

关键词 : 日本图书馆协会 教科书 图书馆概论 中国的图书馆 中国の図書館

概況

中国における図書館事業は既に数千年の歴史を有する。殷商時代の甲骨を収納する「亀室」から計算すれば、現在まで既に3400年以上の歴史がある。古代の中国において、図書の収蔵、管理、研究、校正と発行事業を担当する機構は藏書楼と呼ばれていた。中国の藏書楼は、豊富な文化典籍を收藏、保存、伝播し、博大精深な中国歴史文化を継承していた。古くからの官府藏書、私家藏書、寺観藏書と書院藏書の四大藏書体系は、中国古代図書館事業の完全な事業形態を構成する。

西洋に現代図書館が盛んになる頃、中国はちょうど半封建、半殖民地の時期にあった。その時期に中国の図書館事業は立ち遅れ、混乱した放任状態にあった。辛亥革命以後、近代図書館の事業は、迅速的な発展を遂げる。1915年、北洋政府は《図書館規程》、《通俗図書館規程》を公表し、各省と市の図書館と通俗図書館の建設を促進した。20世紀20年代末から30年代半ばの時期が最盛期とされる。1936年の調査統計によると、中国全国には2520の図書館、民衆教育館があった。1937年から中国図書館事業の低迷期に入った。図書館には、藏書の欠乏、館舍の不備、経費不足などの問題が多発していた。1949年10月まで、中国全国の各種の図書館は392館しかなかった。

中華人民共和国の成立後、中国図書館事業の発展は新しい段階を迎えた。特に1980年代の「改革開放」以後、中国の図書館事業は、勢いよく発展するようになった。国家図書館、上海図書館および多くの省と市クラスの図書館新館の相次ぐ完成と開館は、図書館事業全体の発展に対し大きな促進的な役割を果たしている。2005年末現在、県クラス以上の公共図書館は2762館に達した。

香港、マカオ、台湾地区の図書館事業は発展が速やかである。1962年3月香港大会堂図書館はサービスを開始した。2001年5月に開放した香港中央図書館は香港地区の図書館事業が近代化した新しい段階に入ったと表明した。現在、香港公共図書館システムは、合計62館と15の流動図書館がある。1967年から香港大学等8館の大学図書館からなる香港大学図書館連合会(JULAC)が設立され、大学現代化に重大な貢献をした。マカオには合計70館以上の各種の図書館がある。マカオ中央図書館は、1895年に設立されたマカオ公共図書館が1989年に改名されたもので、マカオ特別行政区政府文化司署に管轄される。分館7ヵ所がある。1990年代の中期の統計によれば、台湾地区に439ヵ所の公共図書館があって,60ヵ所大学および独立学院図書館があった。2000年の末に台湾で図書館法が通過した。

いま、中国の図書館事業は、相当な規模と現代化を有するだけでなく、既に深く人々の心をとらえ、市民生活に欠かせない重要な文化需要になっている。

館種別系統と現況

中国の各種の図書館は、従属関係でいくつかの系統になり、それぞれの部門によって指導し、管理される。公共図書館は文化部および各地の文化行政部門に、大学(学院)図書館は国家教育部および各省(市)教育庁(局)に、専門図書館は各部(委員会)および各地の関係部門に、組合図書館は中華全国総工会およびその所属の各級労働組合に、中小学校図書館は各地の教育局にそれぞれ従属する。

(1)国立図書館

中国国家図書館は、総合的な研究図書館であり、国家総書庫であり、全国書目センターであり、図書館情報ネットワーク・センターである。1987年、新館が完成し、建筑面積が14万平米、合計2000万册の藏書を収納できる。国家図書館二期工事(国家ディジタル図書館工事)は2007年の末に竣工を予定している。新館は地下三階と地上五階から成り、総建築面積は約80535平方メートルである。二期工事が完成後、国家図書館の総面積は25万平方メートルに達する。2003年末現在、中国国家図書館の所蔵文献は2411万册(件)に達し、毎年60-70万册(件)のペースで伸びている。中国図書館学会の本部は国家図書館内にある。

(2)公共図書館

中国では公共図書館は各級の地方文化部門に属する。市立図書館は市文化局に、区立図書館は区文化局に属し、市立と区立の間に行政的な従属関係はない。日本の市立中央図書館に相当するものはないが、各図書館はその下の図書館に業務上の指導や援助を与える輔導部(組)を設けている。近年来、各省や市は中央/分館制を試行し、区や県の図書館を区域図書館の統一体制に納める傾向があるが、実はConsortiaコンソーシアムというような資源共有の協力組織で、本来の行政従属関係は変わっていない。

2005年に全国の公共図書館の数は2762あり、総蔵書量は4.8億冊(件)、書棚の総延長は1320万メートル、閲覧座席は48万、一人毎平均図書購入費は0.46元である。2005年に貨出証は1062万発行し、読者入館数は2.33億人、図書の流通は2.03億冊(次)、公開講座や育成クラスなどの活動は24.6万回あった。基本的に“すべての県に図書館、文化館がある”という目標を達した。大多数の省レベルの図書館は館舎を新築するか改築した。

県の下に図書館をもつ郷や鎮、市内の街道がある。大きい都市にまた住宅地区(Residential area)や村に図書館(室)を設ける。例えば、北京市には街道(郷鎮)図書館が270、住宅地区や村に2408の図書室がある。

子供を対象とする少年児童図書館は独立して設立する傾向にあり、全国で県以上の少年児童図書館は85館ある。

(3)学術図書館

中国では大学や学院は高等学校と称する。全国の高等学校図書館を管理•指導する部門は、全国高校図書館工作委員会であり、その事務局は国家教育部にある。各省•市•自治区はそれに相応する部門を設けている。蔵書100万冊以上を擁する高校図書館は全国で35ヵ所あるが、そのうち、北京大学図書館の蔵書数は600万冊ある。1949年、全国に高等学校図書館は132ヵ所あり、蔵書は794万冊、蔵書数は一館平均6万冊だった。2002年の統計で全国の高校図書館(分館を含む)は1100館あり、全蔵書数4億6818万冊、職員数は3万8162名である。

専門図書館として中国科学院と中国社会科学院系統図書館の発展が著しい。中国科学院図書館は1950年に成立した。2006年3月に4つの院レベルの文献情報部門は統合して国家科学図書館と成った。本部は中国科学図書館にあり、蘭州、成都、武漢に法人制の分館を設ける。国家科学図書館の本部は520万冊の蔵書を有する。中国社会科学図書館(文献情報センター)は蔵書数は180万冊ある。そのほかに中国農業科学院図書館、中国医学図書館などあり、全国に科学技術分野の図書館は約9000ヵ所ある。

(4)学校図書館

 中国で学校図書館といえば大学、中小学校図書館の総称で、初等•中等教育の図書館は普通、中小学(校)図書館という。規模は5万冊前後である。中(高等)学校は専門職を3~5人置くが、小学校は1人か2人で兼任する場合もある。

2003年の統計で全国に中学校図書館は55946ヵ所ある。館蔵は12.15億冊、学生1人当たり16.49冊ある。全国で185264の小学校は図書館(室)を設け、図書の総量は12.20億冊、学生1人当たり10.71冊ある。2001年の末まで全国に中等職業学校、専門学校の図書館が17800ヵ所ある。

各系統の図書館間の協力と連携は、1957年6月に国務院が批准した「全国図書協調方案」に従って、国家科学技術部所属の図書組が担当してきたが、1987年以降は国家科学技術部、文化部、国家教育部、中国科学院など九つの部、会、局が協同組織した部際図書情報工作協調委員会が責任を負うことになった。この委員会の主な任務は、全国における図書館•情報事業の発展計画や政策を研究し、政府の関係部門にこれに関する意見を出すこと、全国の図書館•情報系統におけるコンピュータネットワークやデータベースの構築を研究•統合することなどである。全国の図書館事業を管理する政府部門は文化部社会文化図書館司である。

制度と法則

 1910年に、清政府が頒布した京師図書館及び各省図書館通行章程は中国の初めての図書館法であった。この章程には20条あり、図書館の宗旨、命名、場所の選定、部門及び人員の設置、経費、図書収集や蔵書の種類など具体的な規定や説明をした。1915年10月と11月、民国政府はそれそれ通俗図書館規定、図書館規定を頒布した。1916年に出版法が頒布され、教育部はこの法によって内務部に全国に京師図書館へ図書を納本せよと要求を出した。中国の納本制度がこれで発足した。

1950年代に文化部は「公共図書館を強め、改まり進むことに関する指示」を、教育部は「中華人民共和国高等学校図書館工作試行条例」を発表した。1978年11月、国家文物事業管理局は「省、市、自治区図書館工作試行条例」を発表した。その後、文化部図書館事業管理局はこの条例を修正して、1982年12月に正式に「省(自治区、市)図書館工作条例」とした頒布した。

1981年10月、教育部は正式に「中華人民共和国高等学校図書館工作条例」を頒布し、大学図書館は学校の図書資料(情報)センターであり、教育や研究のための学術的な機構であることを明らかにし、職員制度と基準、図書館費の学校教育事業費に占めるべき比率、館舎面積などを具体的に定めた。1987年、国家教育委員会はこれを修正し、「普通高等学校図書館規定」として頒布した。この間、中国科学院や中国人民解放軍総参謀部などは各自の専門的な図書館条例を発表した。中国はいまだに「図書館法」というものができていないので、国内の出版社から北京図書館へ3冊納本すべきだという行政的な規定はあっても法的な規則に欠けるため、執行しない出版社も少なくない。文化部は十一ヵ五年計画(2006-2010年)に図書館法を推進する目標をたてた。深セン市、内モンゴル自治区、湖北省、北京市は地方的な図書館法規を頒布したが、上海市、広西自治区、河南省、浙江省などは図書管理に関する政府の規章を頒布した。

図書館学教育

1920年3月、湖北省武昌で成立した文華大学図書科は中国における正規の図書館学教育の発端である。1949年全国に図書館学校は、北京大学図書館学専修科と私立武昌文華図書館学専科学校の二つしかなかった。1953年文華図書館学専科学校は武漢大学に併入して、図書館専修科になった。1956年に北京大学、武漢大学の図書館学専修科は本格的な大学になり、図書館学部になった。

図書館学校は1980年代に入って頻繁に開設され、2002年に本科教育は33ヶ所になった。1981年から修士課程が設けられ、2002年に16ヵ所になった。1991年から博士課程が設立され、2002年に5校になった。そのほかに、全国で、図書館学専修科と職業高等学校は50ヵ所を越え、図書館学短期養成教育点(場所)は33ヵ所あり、大学、専修科、中等専門学校で通信教育点(場所)は14ヵ所ある。

1980年代以来、中国で図書館学校は名前を変える動きが2回あった。第1回目は1980年代で、図書館学部は図書情報学部になり、1984年に武漢大学は図書情報学院に名をかえた。第2回目は1990年代で、図書情報学部を情報管理学部、情報資源管理学部、文献情報管理学部、知識情報管理学部、情報産業学部などに変えた。

21世紀になって、ディジタル時代に入るに伴なって、ディジタル化管理専門が増設された。例えば、北京大学情報管理学部は2001年に“情報資源管理:ディジタル図書館”専門、武漢大学情報管理学院図書館学部は“ディジタル図書館とネットワーク資源管理”専攻を設けた。

ディジタル時代へ

1990年代に入って中国の図書館ネットワークは実質的な発展がみられる。1996年5月中国国家図書館(旧•北京図書館)では中国試験的なディジタル図書館項目(プロジェクト)が開始され、1997年に国家の重点科学技術項目(プロジェクト)として立てられた。国家図書館をはじめとして、上海図書館、深圳図書館、中山図書館(広東省立図書館)、辽宁図書館、南京図書館などが参加した。この項目(プロジェクト)はディジタル情報資源データベースの設計、専用ソフト、検索標準など大きな成果を遂げ、中国ディジタル図書館工事の実施のため基礎をつくりあげた。

2000年3月に、文化部の指導の下に、21の部門が参加する「中国ディジタル図書館工事建設連席会議」を組んだ。この目的は、超大規模の優質的な中国語情報資料データベースを建設し、国の高速ワイルドバンドネット(インターネット)を通じて、全国また全世界にサービスを提供して、世界で総合的な中国語ディジタル資源基地やサービスセンターになることである。この計画は10年をもって完成する予定である。

2002年4月に中国文化部と財政部は文化情報源共用工事をはじめた。この項目(プロジェクト)は「中国ディジタル図書館」の蓄積してきた各資源を基礎として、全国各地の地方文化、科学技術情報を統合して、インターネットや衛星やミラサイトを通じて、国家センターから農村や都市のコミュニティへ伝送する。2006年の末まで、共用工事の総資源量は50TBになり、各級レベルのサービスポイントは6700あった。2010年に共用工事のサービスポイントは県や郷(鎮)や行政村の100%をカバーすることになる。

中国高等教育文献保障系統(CALIS)は国務院が認可した中国高等教育「211工事」における2つの公共サービスシステムの中の1つである。この項目は1998年から開始され、4つの全国文献情報センター(文理科、エンジニア、農学、医学)を立てた。また、華北、東北、華南、華中、華東北、華東南、西南、西北の8つの地域センターを設けた。2001年からCALIS二期項目(プロジェクト)が続けられ、“中文英文図書ディジタル国際合作計画(CADAL)”をこの項目(プロジェクト)に入れた。またこの上に、“中国高等教育ディジタル図書館(CADLIS)”を建てた。CADLISのメンバーは600以上ある。

国家科技図書文献センターは2000年に発足した仮設的な科学技術文献情報サービス機構である。中国科学院国家科学図書館、工程技術図書館(中国科学技術情報研究所、機械工業情報研究所、冶金工業情報標準研究院、中国化学工業情報センター)、中国農業科学院図書館、中国医学科学院図書館からなる。センターは事務室を設け、管理や協力に責任を負う。2000年12月26日に対外サービスを開始した。センターのネットワーク管理部門は各メンバー館との間に1000Mbpsのワイルドバンドの光ファイバーを開通し、国家図書館、中国教育ネットワーク(CERNET)、中国科学技術ネットワーク(CSTNET)との間に100Mbpsの連接を結んだ。このセンターは文献検索、文献提供、オンライン目録、コンテンツサービス、専門家レファレンスなどのサービスを提供している。

人生感悟——身外之物

Posted on 02月 20th, 2008 in 感悟 by admin

关键词 : 人生观 身外之物 义利观 到了知天命的年纪,对钱、对名、对身外之物都看得淡了,当然,还没有到对一切都无所谓的地步。

看淡,不是说不要,人总要生存,没有钱为你垫底,没有名为你撑腰,在这个世上还是很难混下去的。我觉得这些东西只要保持在必要的水平就可以了。

要做到这一点是不容易的。我讨厌人家说的是一套,做的是一套,结果把你送到冰天雪地,自己则回到了安乐窝里。这样的人我见得多了。

人最宝贵的是情,是义,为朋友两肋插刀,就是因为有了情,有了义。

情和义是最少有杂念或私心的东西。但我害怕的是,这个情和义也被身外之物拖下水,然后逼得你对一切美好的、有诱惑力的东西都敬而远之了,那就是真正到了对一切都无所谓的地步了,这样做人的意义也没有了。

情和义是人间最美好、最纯洁的东西,千万别当作身外之物给抛弃了。

沉痛悼念吴龙涛先生

Posted on 02月 15th, 2008 in 日志 by admin

关键词 : 吴龙涛 期刊工作 编目规则 吴龙涛先生去世了。今天早上去探望吴龙涛先生的家属,在他的家里,还可以看到未完成的书稿及各种研究资料。走得这么快,是意料之外的。

吴龙涛先生曾经担任上海图书馆副馆长,在全国图书馆界有较高的知名度,他在期刊工作和编目规则研究方面全国首屈一指。沉痛悼念图书馆学专家吴龙涛先生。

Preface of 《Theme Development of World Expositions》

Posted on 02月 9th, 2008 in 读书 by admin

关键词 : Theme Development World Exposition publication Preface

“Theme development”or “zhuti yanyi” in Chinese,is one of the most common terms of world expositions. Since Shanghai won the bid for hosting Expo 2010, we have been frequently using or exposed to the word. As the name implies, “yanyi” is a thinking methodology, which goes from general principles into specific illustrations and presentations. It is also a process of reasoning to infer specific knowledge from general principles as well as to draw specific conclusion based on general premises. Theme development is a process in which the Organizer and participants of a World Expo prepare and present, in various forms, the rich and vivid concepts and practices in relation to the theme, based on the thematic system defined in the relevant Special Regulations, which was submitted by the Organizer and approved by the General Assembly of the BIE.

What distinguishes World Expos from ordinary commercial fairs?

The World Expo is a showcase of civilizations. Since it was first hosted in 1851, it has gradually developed a unique core value system over history. This value system reflects the guiding ideologies and features of World Expos, which distinguish them from other exhibitions. It also reflects the consensus between the Organizers and participants. There are three essential elements in this system, namely “progress”, “challenge” and “communication”. “Progress” is the key to the spirit and concept of World Expo and is the main thread that integrates its past and future. “Challenge” reflects an important aspect of World Expos in encouraging discovery and innovation. Finally, “communication” underlines the value of World Expo as a “place”.

Progress
Since the Enlightenment of the 18th century, with the growing human rationality, development of science and technology and the influence of Darwinism, “progress” has become a main pursuit of mankind. It indicates Man’s desire to keep up with the times and to achieve a better life. As early as in 1851, founders of the Crystal Palace had raised the motto of “progress” and had thus laid a conceptual framework for World Expos that has lasted for more than 150 years despite of all the ups and downs. From the London 1851 to the Aichi 2005, “progress” is always one of the key values. As William Mckinley, former US president, pointed out: “Expositions are the timekeepers of progress. They record the world’s advancement. They stimulate the energy, enterprise, and intellect of the people; and quicken human genius.”

The concept of “progress” is realized, first of all, through an integration of manufacturing and arts. In its incipient days in Europe, World Expos were mainly platforms for showing national power. A nation’s development stage is usually perceived through its manufacturing industry and art, which are supportive of each other. The advancement of one would definitely benefit the other. The early World Expos put much emphasis upon the marriage between industry and art. Art was defined as one of the four major categories of the 1851 London Expo. The World Expo 1862 was officially named as London International Exhibition on Industry and Art. The 1867 Paris World Expo demonstrated history of human development from the Stone Age to 1800 and listed art as the first category in its classification system. From then on, the art pavilion has always been one of the highlights on Expo sites.

“Progress” also has a human dimension. With the continuous progress of human society, the World Expo has also become a great promoter of humanities. The 1904 St. Louis World Expo had its message centered upon “man”, which was developed through three perspectives, i.e. “Earth”, “Production” and “Economy”. The theme of 1967 Montreal World Expo, “Man and his World Land”, was explored through several sub-themes, i.e. Man the Explorer, Man the Creator, Man the Producer, Man in the Community, Man the Provider, Man and his Health. Throughout its history, attention to “man” remains an important part of World Expos.

Another dimension of “progress” is peace. After torn by the World Wars, the human society cherishes peace more than ever. The 1958 Brussels World Expo, with its theme on science, civilization and humanism, was the first universal exhibition held after World War II. It provided a great opportunity of dialogue between the previously warring states. Participants exhibited their contributions in science, technology, politics and culture. Marcel Galopin has it in the preface for Les Expositions Internationales au XXÈ Siècle et le Bureau International des Expositions,“We are making great efforts to find out the answer to such a question: Why the world expositions could become one of the most precious seconds of human understanding and love in the world full of conflicts?” It has been proved that World Expo is a venue for promoting world peace and for facilitating the dialogue between cultures.

Finally, “progress” is shown in the scientific development. The World Expos after the World War II more or less follow the thread of reflection, particularly that of the abuse of science and technology during the World War II and that of negative impact on natural environments brought about by technological progress. These reflections gave rise to a strong wish that modernization and progress is no longer maid of economic and political contests, but offers possibilities of improvement of quality of life of mankind and of sustained world peace. With a reflective tone, the post-War World Expos placed their stress on “human needs”, which is well demonstrated in World Expo 1958 Brussels, themed as “Science, Civilization and Humanism”, in Montreal 1967, “Man and His World Land”, and in Osaka 1970’s “Progress and Harmony for Mankind”. In the meantime, it is during this period that the concept of “sustainable development” starts to enter the Expo agenda. It was first raised at Spokane 1974, also known as the International Environment Exhibition, which adopted an environmental theme for the first time. This theme comes back more frequently after the issuance of Agenda 21 by the UN in 1992, at Lisbon 1998, Hanover 2000 and Aichi 2005, and is now carried on by Shanghai 2010. These Expos all offered or is about to offer discussions and explorations of “sustainable development” from various perspectives

In a word, “progress”, as a core value of World Expos, grows with the history of World Expos and embodies the essence of times. It has different connotations and expressions in different historical contexts. What remains unchanged is that it will continue to guide and influence the future Expos.

Challenge
World Expo is a hotbed for discoveries and innovation and is known for the many “firsts” and “debut” that it offers. “Challenge”, or meeting up with challenges in the pursuit of excellence, is an inevitable process in achieving “progress”. “Challenge” is an attitude. It encourages people to explore and unravel the unknown world and the myths of history. It also stimulates creation and innovations using scientific methods. In the early days, “challenge” was more interpreted as that arising from competition. Later it was seen more as explorations of the future.

From the very beginning, World Expo has established an award system as a direct way to encourage competition. Each Expo held in the period from 1851 to the middle of 20th century offered a set of awards, normally no less than thousands of them. The World Exposition Paris 1900 gave out 45,905 awards in total. For more than 100 years since 1851, getting an Expo award was one of the most recognized laud to a nation’s achievements. Later, it was gradually felt that the awarding system, by driving nations to vie with each other with commodities, is not the best way to communicate the core values of Expo, and is rather going against the trend of Expos, which is changing from exhibition of commodities to presentation of ideas and cultures. Therefore, in 1966, the college of commissioners general of Montreal Expo decided to abandon the award system, which was not resumed until the World Expo Aichi 2005.

World Expos are showcases of discoveries and stimulant of innovations. New technological achievements and products made their debut at Expos. Classical examples include the “Crystal Palace” of London 1851, constructed with prefabricated metal and glass panels, as well as the Bell’s telephone, gramophone, and Edison’s telegraph at the Expo Philadelphia 1876, and Kodak color film at the San Francisco 1915. These items were all of milestone significance in their age. People treat World Expos as platforms for unveiling new products and research outcomes. Many of the inventions and innovations went into mass application in the post-Expo years and have benefitted a much larger population since. The classification system of contemporary libraries, theme park, international conference center were all born from Expos, the latter two increasingly becoming landmarks of modern metropolises. “Challenge” is, after all, what World Expos are after. It is also a propellant of the development of World Expos. As William Mckinley once said, “Every exposition, great or small, has helped to some onward step. Comparison of ideas is always educational; and as such instructs the brain and hand of man. Friendly rivalry follows, which is the spur to industrial improvement, the inspiration to useful invention and to high endeavor in all departments of human activity.”

Communication
World Expos are miniatures of the world. They are channels through which people discover and learn about the world. More than 150 years ago, the World Expo organizers ventured to bring the whole world under one roof through an encyclopedic system of exhibition, which allows visitors to see and experience the world’s leading technologies and products; Later, with the content of Expos switching to ideas and cultures, the traditional exhibition format gave way to a thematic exhibition system, which better reflects common concerns of mankind. In the current information age, the highly developed mass media and information technology provide people much more efficient access to the outer world. Under such a circumstance, is the efforts of hosting an Expo still justified? To answer this question, we shall renew our thinking on the value of World Expo and rediscover its significance as a unique “place”.

Coming through 150 years of history, World Expo remains to be attractive. The reason is that people have incessantly injected new forms and life into it in the process of realizing its values.

World Expo is a stage for communication between cultures. There is no differentiation between strong and weak, rich and poor, new and old, big and small. Each nation or nationality has its unique culture. World Expos offer a platform for displaying the cultural tradition, progress of science and innovation power of different cultures and nationalities. People have a growing awareness of the importance of cultural exchange. “World expositions fulfill a deep instinctive need in people for a “festival”. In our mechanistic world we tend to discount the instinctive urges of our society as having little value but some, especially such a celebration of mankind’s achievements and hopes, are worthwhile.” said Arthur Erickson, designer of the Canadian Pavilion of Expo 1970. World Expo is the most ideal venue for satisfying this demand.

World Expo is a forum for exchanging thinking and viewpoints. Since the end of the 19th century, people have been transferring World Expos into a platform for exhibiting “ideas” rather than products and technologies. It is a forum in itself. As Anna Lamson wrote in Les Fastes du Progrès, “Visitors are not (potential) buyers of commodities any more. They are consumers of ideas, life styles, and social programs… World’s Fair gathers the peoples all over the world and offers a unique venue for collision and exchange of various concepts, where its attraction and value lie in.”

In the course of more than 150 years, World Expo has been following a constant philosophy. From the very beginning, it has established itself as a “cultural event” rather than a “commercial space”, which readily distinguishes itself from all other fairs. More importantly, it has developed a distinctive value system over time, which advocates progress, encourages challenge, and facilitates communications. It is this value system that has led World Expo through all its splendors and glamors.

Structure of the Book
Organizers of early World Expos, to layout a framework of the exhibitions, designed a classification system that reflected their intentions. Robert Rydell, an American scholar on World Expos, gave a high praise on these systems, “World’s fairs’ classification schemes may be among the most important contributions by exposition organizers to intellectual history. They not only reflected contemporary thinking about how universe should be perceived…, but also determined how that universe would be presented.” For a long time after the 1851 Expo, almost each World Expo had its own classification system, not only to categorize exhibits, but also to realize the intention of the Organizer. Later on, Organizers gradually felt that encyclopedic classification system could no longer present the dynamic or reflect their more specific purposes. The Chicago International Exposition 1933 started to have a theme, i.e. “A century of progress”, rather than following the old classification schemes. However, it was not yet the real beginning of “theme era” or spelt an end to the classification systems. The following World Expos either adopted the new thematic system, or still used the classification system, or simply combined the two approaches. It is not until 1994 that the thematic system was officially established by the “RESOLUTION N°1 – ‘The theme of Exhibitions’” approved by the 115th General Assembly of the BIE on June 8, which defines: “All Exhibitions will have to have a relevant theme that corresponds to the expectations of contemporary society.”

The book consists of five chapters. Chapter I explores the evolution of concepts and forms of early World Expos (1815-1933), from being single-purpose exhibition to multi-functional presentations, from classification by exhibits to that by content. Chapter II focuses on the development of thematic system between 1933 and 1994, and how the old classification system was gradually replaced by the thematic system. Chapter III reviews how the theme development framework was officially established at the 115th General Assembly of the BIE (1994), which defined the theme development system that was adopted and developed by the later Expos. Chapter IV examines theme development at Expos since 1994 through case studies, which covers all three major forms of theme development, i.e. exhibition, forum, and events. Chapter V describes the formation and development of the theme structure and presentation of World Expo 2010 Shanghai China, accompanied by contemplative questions.

The preface, Chapter I, II and III are written by Wu Jianzhong, Chapter IV by Zeng Yuan, and Chapter V by Mao Zhuchen. Wu Min and Zhu Hang contributed several articles and case studies, and were deeply involved in the content planning of the book and development of the index. Experts and scholars of relevant fields were invited to contribute works and case studies under the content framework of the book. The book also selects materials and documents of relevant topics. It should be mentioned that Dr. Vicente Gonzalez Loscertales, Secretary General of the BIE, offered great support for the work by authorizing translation and publication of relevant works.

In the process of compiling the book, we also got much appreciated assistance from the Bureau of Shanghai World Expo Coordination and Shanghai Library. Dr. Ji Lude, Director of Theme Development Department of the Bureau of Shanghai World Expo Coordination, raised much valuable suggestions on the framework and content. A group of young professionals (Mao Zhuchen, Zeng Yuan, Wu Min and Zhu Hang, etc.) actively contributed their thoughts and works, based on their fields and backgrounds. Staff of Shanghai Library ( Zhang Jie, Wang Ping, and Liu Wei, etc.) took in the editing, compilation, and translation work. The efforts of all these people are highly acknowledged.

The theme development for Expo 2010 is still underway. We do hope that the publishing of the book is able to trigger more valuable thoughts and inputs into the process. Your feedback and comments are appreciated.

Wu Jianzhong
January 10, 2008

《世博会主题演绎》序言

Posted on 02月 9th, 2008 in 读书 by admin

关键词 : 世博会 主题演绎 上海科技文献出版社 序言

主题演绎是世界博览会最常见的一个关键词。从申博成功开始,我们就很频繁地接触到这个词汇了。那么什么是主题演绎呢?演绎,顾名思义,是从一般到个别的思维方法,是从一般性知识引出个别性知识,从一般性前提得出特殊性结论的过程。世博会主题演绎是主办方和参展方根据国际展览局全体大会通过的由一届世博会主办方提交的与主题有关的特殊规章所确定的主题体系,展开体现各自丰富而生动的理念和实践的演绎活动。
为什么世博会不同于一般商业性质的博览会呢?
世博会是人类文明的盛会。1851年创立的世博会在漫长的发展进程中,逐步形成了一套独特的核心价值体系。它反映了世博会这一特定活动形式的指导思想以及区别于其他博览会的特性,体现了世博会组织机构、主办方以及参展方在发展中所形成的共同意识。世博会的核心价值体系有三层含义:“进步”是世博精神和理念的集中体现,并成为贯穿世博会全部历史并指导未来发展的主线;“挑战”反映了世博会激励发现、倡导创新的追求;“交流”强调了世博会作为场所而存在的价值。

进步
欧洲十八世纪启蒙运动以后,随着人类理性的不断提高、科学技术的不断进步以及后来达尔文进化论的深刻影响,“进步”已经成为人们追求的目标和观念。“进步”意味着人类社会和生活与时俱进。早在1851年,水晶宫的创始人就高高地举起“进步”这面旗帜,为世博会以后的发展定下了基调。150多年来,世博会历经风云变迁始终如一地保持了自己独特的性格。从首届伦敦世博会一直到最近的爱知世博会可以看出,“进步”这一核心价值理念贯穿于世博会全部历史之中。正如美国前总统麦金莱(William Mckinley)所说,“世博会见证着时代的进步,记录下世界的进步历程。它激发了人类的活力、进取心和智慧,促进人类的聪明才智的发展。”
“进步”这一核心价值观体现在如下几个方面。工业与艺术的结合。在当时欧洲,世博会是体现国家实力的一种表现方式,看一个国家发达与否,主要看制造业和艺术的卓越程度,两者相辅相成,一方卓越必然会影响另一方。因此,世博会在创立之初,特别强调工业与艺术的结合。如1851年世博会的分类法中,美术就已经成为展示体系的四大部分之一。1862年,伦敦世博会官方标题就是“伦敦国际工业与艺术博览会。1867年巴黎世博会也展示了从石器时代到1800年的人类进化史,并把艺术放在分类体系中的第一大类。在相当长的一段时期里,艺术馆一直是世博会园区中比较醒目的展馆。
人文精神。随着社会的不断进步,世博会更加重视人文精神的弘扬。1904年圣路易斯世博会以人为中心,分别按“地球的人”、“生产的人”、“经济的人”进行分类。1967年蒙特利尔世博会的主题为“人类与世界”,把主题进而划分成若干副主题,即人类——探索者、人类——生产者、人类——创造者、人类——社区、人类——自身健康、人类——供给者等。在世博会发展的进程中,“以人为本”始终处于突出的位置。
世界和平。经历了战争以后,人类更加珍视和平。1958年布鲁塞尔世博会是第二次世界大战以后首次举办的博览会,该世博会以科学、文明和人性为主题。对过去互为敌对的国家而言,这是一次彼此交流和沟通的极好机会。各参展国家展示了各自对世界科学、技术、政治和文化的贡献。加洛潘(Marcel Galopin)在《20世纪世界博览会与国际展览局》序言中的一段话令人深思:“我们正在努力寻找答案:世博会为什么会在一个充满冲突的世界上成为人类谅解和博爱的最宝贵时刻之一。” 实践证明,世博会是推动世界和平、促进文化融和的盛会。
科学发展。第二次世界大战以后举办的几届世博会形成了对“进步”再思考的一条主线。人们针对工业化、尤其是两次世界大战对科技的滥用以及对环境的破坏进行反思,因此期望现代发展不再服务于经济和政治竞争,而应该提供改善全人类生活质量的可能性,并夯实世界和平的基石。这些世博会更加突出对进步的反思和“以人为本”的理念,如1958年布鲁塞尔世博会的“科学、文明和人性”、1967年加拿大蒙特利尔世博会的“人类与世界”与1970年日本大阪世博会的“人类的进步与和谐”等。同时,这一时期人们开始思考可持续发展的问题。如1974年在斯波坎举办名为“国际环境博览会”的世博会,第一次明确以环境问题为主题。从1992年联合国颁布《21世纪议程》以来,1998年里斯本世博会、2000年汉诺威世博会、2005年爱知世博会以及2010年上海世博会都延续了“可持续发展”这条主线。
总之,“进步”作为世博会核心价值观,贯穿于整个世博会的历史之中并始终与时俱进,“进步”在每一个时期或阶段都有其独特的内涵和表现方式。可以肯定,“进步”这一核心价值理念仍将主导并影响未来的世博会。

挑战
世博会是展示发现和创新的舞台,并以诸多“世界第一”而闻名。“挑战”这一追求卓越的价值观是体现“进步”这一主线的理想方式。“挑战”是一种姿态,它激励人们去探索历史、自然以及大千世界的未解之谜,强调用科学的方法创造前所未有的事物。“挑战”在世博会早期主要体现在竞争上,后来重心逐渐地转移到对未来的探索和思考上。
世博会一开始激励竞争最直接的表现方式是评奖。从1851年伦敦世博会一直到20世纪中期,每届世博会都有奖项,一般都有几千个,1900年巴黎世博会获奖数达到45,905个。从1851年首届世博会后一个多世纪里,评奖成为体现成就的最重要的标志。后来人们逐渐意识到,这种加剧国与国之间产品竞争的方式逐渐背离世博会的核心价值体系,并与世博会重心由展示产品和技术向展示理念和文化的发展趋势格格不入,因此,1966年,蒙特利尔世博会展区总代表团决定放弃评奖比赛。以后直到2005年爱知世博会为止,世博会评奖中止了近半个世纪。
1851年伦敦世博会第一座由金属与玻璃预制板建成的大型建筑、1876年费城世博会的贝尔电话、留声机和爱迪生电报以及1915年旧金山世博会的柯达彩色胶卷等成就,在当时都具有里程碑意义。世博会是展示发现、激励创新的舞台,并以诸多“世界第一”而闻名,人们都希望利用世博会这一平台来发布最新的技术产品或研究成果。很多创意都在世博会后广泛地应用于社会,造福于人类。从今天常见于图书馆的等级体系分类表,到国际化大都市不可缺少的主题公园以及国际会议中心等,都曾首创于世博会。“挑战”反映了世博追求,也是推动世博向前发展的不竭源泉。威廉·麦金莱说得好:“每一届世博会无论规模大小,都使人类文明迈上一个新的台阶。各种思想的相互碰撞总是能给人以启迪,使人类的大脑更充实、双手更灵活。接踵而来的是友好的竞争,它是产业进步的动力,是发明创造及人类活动各领域所作努力的灵感源泉。”

交流
世博会是世界的缩影,人们通过世博会认识和了解世界。150多年前,世博会的主办者希望将整个世界全面地展现在人们的面前,所以采用百科全书式的展示体系,让参观者可以在园区内体验世界最好的技术和产品。后来,随着世博展示的重心向理念和文化转移,传统的展示方式让位于能深刻反映人类共同关心的课题的主题展示体系。进入信息化社会以后,发达的大众传媒技术为人们了解世界提供了更好的机会。于是,有人开始怀疑世博会是否还有必要的问题。世博会是否还有继续存在的必要?要回答这个问题,我们首先需要重新思考和挖掘世博会作为场所的价值。
世博会走过了150多个春秋,它之所以到今天为止仍有很大的吸引力,就是因为人们在发掘世博会生存价值的过程中不断创新,不断赋予它新的生命力。
世博会提供了文化交流的舞台。文化没有强弱之分、贫富之分、新旧之分,大小之分,每个国家或民族都有自己独特的文化。世博会提供了一种平台,以展示各个民族、各种文化特有的文化传统、科学发现和创新精神。今天人们越来越意识到文化交流的重要性。正如1970年大阪世博会加拿大馆设计者阿瑟·埃里克松(Arthur Erickson)所说的,世博会满足了人类本性深处隐藏着的一种“欢庆节日”的愿望。在当今这个机械的世界,社会的内在冲动已经丧失了价值,不为人所看重;但仍有那么一些事情,特别是这样一种颂扬人类成就与愿望的庆典,仍值得我们为之付出努力。 世博会正是满足人们这种节庆愿望的最佳场所。
世博会提供了思想交流的论坛。从19世纪末开始,人们就在努力促使博览会从技术竞争的平台转向思想交流的平台,把注意力集中到对全球未来的共同探讨上。世博会本身就是一个论坛,正像安娜﹒拉穆森(Anna Lamson)在《进步的辉煌》中表述的那样:参观者不再是商品的(潜在)购买者,他们已经成为理念、生活方式、社会计划的消费者…… 世博会让世界各地的人们聚集在一起,为各种观念的碰撞和交流提供了独一无二的方式。这就是世博会的魅力和价值所在。
在150多年的发展历程中,世博会之所以保持了始终如一的办会理念,就是因为世博会从一开始就把自己定位于文化的而不是商业的博览会,从一开始就确立起有别于其他任何博览会的文化性格。更为重要的是,世博会在长期的实践中形成了自己独特的核心价值体系。正是这种崇尚进步、激励挑战、促进交流的价值观,推动着世博会不断地创造一个又一个新的辉煌。

本书框架
早期世博会为布展的需要,设计了反映主办者办展思想的分类体系。美国知名世博学者莱德尔(Robert Rydell)对早期世博会的分类体系给予了高度的评价。他说:“世博会分类法是博览会主办者对世界史的最大贡献之一,它不仅反映了当时人们是如何认识世界的,而且确定了如何把这个世界展现出来。” 1851年后相当长的一段时间里,几乎每届世博会都有分类体系,它不仅用于管理展品,更重要的是反映主办者的意志。后来,当主办者发现面面俱到的分类体系已经无法展示变幻万千的世界、难以表达主办者意志的时候,分类体系才逐渐淡出,取而代之的是突出人类文明成果的主题体系。1933年芝加哥世博会放弃分类法,以“一个世纪的进步”主导整个世博会。但芝加哥世博会并没有彻底宣告分类体系的结束和主题时代的开始,以后几届世博会有的采用主题体系,有的采用分类体系,有的采用分类和主题融合的体系。直到1994年6月8日国际展览局第115次大会上通过的《1号决议》对主题体系作了明确规定并经过几届世博会的实践以后,世博会的主题演绎体系才真正确立起来。
本书分五个部分。第一章为早期世博会概念与表达形式的演变,论述从1851年至1933年期间世博会从单一性展览到多元化展示、从重展品分类到重展示分类的发展过程;第二章为世博会主题体系的形成,展现从1933年至1994年主题演绎体系逐步形成以及主题演绎体系如何替代展品分类体系的过程;第三章为世博会主题演绎体系的确立,对国际展览局1994年第115次大会正式确定主题演绎体系以来历届世博会主题演绎体系的发展进行比较系统的介绍;第四章为各国主题演绎的生动实践,通过展示、论坛以及节庆活动三大载体,重点介绍从1994年以来各国参与世博会主题演绎的具体实践;最后一章为上海世博会主题演绎体系的形成与实践,对中国2010年上海世博会从申办到筹办中主题演绎体系的形成和发展,在介绍的同时展开一些探索性的思考。
本书序言和第一至第三章由吴建中撰写,第四章由曾原撰写,第五章由毛竹晨撰写。吴敏、朱航撰写了数篇文选和案例,此外还参与了本书的组织和策划以及索引编制工作。本书还邀请有关专家、学者以世博会主题演绎为主线,以文选、案例等形式丰富和充实了全书的内容。同时,本书还收录了与世博会主题演绎相关的各种资料和文献。值得一提的是,国际展览局秘书长洛塞泰斯(Vicente Gonzalez Loscertales)博士对本书出版给予大力支持,并授予书中有关作品的翻译和出版许可。
本书在编辑过程中,得到上海世博会事务协调局和上海图书馆上海科技情报研究所领导和专家的大力支持和指导。上海世博会事务协调局主题演绎部季路德部长为本书框架和内容提出了很有价值的建议。毛竹晨、曾原、吴敏、朱航等一批青年骨干结合自己的研究专长和工作实践为本书积极撰稿,张洁、王萍、刘玮等上海图书馆世博信息中心人员为本书参与了编辑、组织、整理以及部分资料的编译工作。在此,向上述各位对本书的热情支持与合作表示衷心的谢意。
上海世博会的主题演绎工作还在推进过程中,我们希望本书的出版能为本届世博会主题演绎的全面展开起到抛砖引玉的作用。但由于时间仓促,能力有限,书中若有疏漏、欠妥之处,恳请广大读者不吝指正。

吴建中
2008年1月10日

人生感悟——让短信成为一种新的文学交流形式

Posted on 02月 6th, 2008 in 感悟 by admin

关键词 : 文学体裁 短信 俳句 今天是除夕。从清晨被送花乐醒开始,手基本上没有离开过手机。我很佩服那些短信写手们,写的段子一个比一个精彩。读短信也是现代生活中的一大快事!

短信这种形式已经相当大众化了,那么能否让短信孕育出一种文学体裁呢?比如像中国古代的绝句,或日本的俳句那样呢?

日本俳圣松尾芭蕉有一句很有名的俳句:
古池や蛙飛込む水の音(Furu ike ya kaeru tobi komu miszu no oto),翻译成中文为:幽幽古池畔,青蛙跳破镜中天,丁咚一声喧。

俳句以短小为特色,它有两大要素,一是格式,即由五、七、五三行十七个日文字母组成。二是俳句中要有表示春、夏、秋、冬的季语。这首俳句描写一只青蛙跳入古池的一瞬间,生动地刻画了人与自然之间美妙的关系。

我很希望短信的写手们能够创作出一些新的文学体裁,使人们在欣赏短信内容的同时,提高文学修养。

人生感悟——人生路上总有不称心的事

Posted on 02月 1st, 2008 in 感悟 by admin

关键词 : 人生观 《冷暖人间》 日本 电视连续剧 这段日子,只要晚上一有空,我就看日本电视连续剧《冷暖人间》,日文原名如果直译的话,是“世间尽是鬼缠身”,意思是,人生路上总有不称心的事。即使不连贯地看,也觉得蛮有意思。故事说的是老百姓日常生活中的酸甜苦辣,好象每一个家庭每一天都有不称心的事情。好不容易有了转机,不称心的事又接踵而至了,故事很平凡,但很实在,就像发生在自己身边一样。

生活中充满了矛盾和冲突,不称心的事总比称心的事多。有的人看上去乐呵呵的,一问他人才知道,也是个“鬼缠身”人。大街上做个社会调查的话,说不定一半以上都有“鬼缠身”呢。当然大多数人还是要面子的。

一个人每天都会有烦恼的事情,问题是我们用什么心态面对它。心态好一点的人,会平静地接受它,然后积极地消化它,也可能坏事会转化为好事。有的人像个火药罐头,一点就着,只要一不称心就跳将起来,跟这样的人交往要防着点。

想通了就不怕了。人生路上总有不称心的事。